スジャータ村
6年間にわたる難行苦行の末、お釈迦様がたどり着いたのは中道の思想です。誰よりも厳しい難行苦行に打ち込んだからこそたどり着けたのではないでしょうか。前正覚山を下りたお釈迦様は尼蓮禅河で沐浴をし、苦行でやつれ果てた身を清めます。そして、川岸にあるこの地で村娘スジャータの乳粥供養を受け衰えた体力を回復させます。そしてブダガヤの菩提樹の下で最後の瞑想(座禅)に入られ、ついに悟りを得られたと言います。
このスジャータの話はあと二つあります。
子供を身ごもることが出来ない村の若妻『スジャータ』が、仙人に占ってもらったところ「修行者に乳粥を供養しなさい」というものでした。当時修行者であれば絶対にこの供養は受けません。無理難題であったと言えます。しかし、子供を産めなければ離婚されてしまいますから彼女は必死で供養を受けてくれる修行者を待ちます。そこに現れたのがお釈迦様というわけです。お釈迦様は全てお見通しでした、そしてこの供養を受けられ衰えた体を回復させたと言います。その後は同じです。
もう一つ、子供を産んだ『スジャータ』が、お礼に神様に乳粥を供え、その乳粥をお釈迦様が頂いたというものです。後は同じになります。
どの話が本当か?興味は尽きません。日本に伝わった話は『村娘スジャータ』です。
コマーシャルでスジャータの名前は有名になりましたが、(名前だとほとんどの方は思っていなかったと思います)実に的を得たネーミングだと思いませんか。
このスジャータを顕彰する為でしょうか、かなり早い時期にここにスツーパが作られたようです。近年発掘されました。場違いとも思える大きくて立派なものです。
遠くには前正覚山を望むことも出来ます。
村の様子は、近代化著しいインドにあって、昔と変わらないものでした。
家みたいに見えるのは、稲ワラの山です。このワラは家畜の飼料となったり、また細かく切って牛の糞と混ぜて乾燥させ、燃料とするのだと思います。
長閑と言えば長閑ですが、貧しい取り残された人々の生活がここにあると思えます。
今後どう克服するのかが大きな鍵を握ると思います。
尼蓮禅河の川岸からは、対岸にブダガヤの大塔を望むことが出来ます。
この地に立つと、お釈迦様の修行の足跡について、その位置関係がとても良く理解出来ます。
せっかく近くまで来ているのですから、急がずに参拝者には足を運んでもらいたいと思います。
沢山のビデオが@niftyのビデオ共有にUPしてありますので、そちらもご覧下さい。
@niftyの検索画面で『動画』を指定し『インド仏跡参拝の旅』で検索すれば今回の参拝旅行のビデオがご覧いただけます。
青蓮寺の永代供養は、とことんインドにこだわって建設しました。
永代供養墓苑『アユスの郷』、ペット供養について詳しく知りたい方は
青蓮寺のHPをご覧下さい。 http://www.shorenji.or.jp です。
相談事もHPで受けていますので、ご利用下さい。
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